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クラシック音楽夜話 Op.130 2004年7月4日(土)
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勝った負けた
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Op.130 CONTENTS━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.勝った、負けた 〜コンクールの季節によせて
2.外国語は苦手、なかんずくフランス語は…
3.フォーレ ラシーヌ賛歌 作品11
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1.勝った、負けた 〜コンクールの季節によせて
★課題曲選びました?
夏もいよいよ本番に入る7月。コンクールに参加予定のアマチュア合唱や吹奏
楽の団体は、課題曲と自由曲を決める時期ですね。かつてコンクールに参加し
た経験のある皆さんにも、懐かしい思い出があるのではないでしょうか。
え? 懐かしいなんてとんでもないって?
む…、そ、そうですなぁ。おぞましい記憶が残っている方もいるかもしれませ
ん。多くの人々がコンクールに泣きました。笑えたのは日本全国でごく少数の
上位入賞団体ですから無理もありません。執念、恨み、嫌悪、自虐、泥と沼、
涙、酒、あ、これだと演歌になってしまう…、思い出すだけでも拳を握り、悔
しさを思い出すのは私だけでしょうか(私だけかもしれん…)。
私のように、身の程を知らずで上位を狙い躍起になった罰でしょう。参加する
ことに意義がある、とリラックスして参加なさった方の方がよほど幸せです。
★レベル向上の手段から、勝敗のための競技へと…
コンクールめざし切磋琢磨することが、アマチュアの場合は良くも悪しくも音
楽レベル向上に貢献するのは事実です。小学、中学、高校、大学、一般、職
場、全国の団体がコンクールを目標に、音楽を磨く。課題曲という共通のテー
マがあることで、他団体と比べることもでき、自分たちの演奏を客観的に評価
できます。こんなチャンスはめったにありません。
ただ、当然勝敗という厳しい現実に直面します。仮に金賞を狙っているとし
て、ライバルは金賞、自分たちは銀賞となると、銀賞は負け組になってしまい
ます。落胆の気持は相当で、入賞なんて夢にも見ていない初出場の団体が銅賞
を得ておおはしゃぎしている隣で、それまで毎年金賞だった団体が銀賞となり
団員皆が涙に暮れる光景を見ることもあります。銀賞と銅賞なのにに、銅賞は
天国、銀賞の方は地獄。
★音楽という苦行
コンクールの残酷な面が浮き彫りにされる光景です。そもそも、レベルがそこ
そこの団体ならばコンクールは「楽しめる」イベントです。上にあがりたい願
望は誰もが持っているけれど、ある程度マイペースで参加できるからです。ラ
イバルを過度に敵対視することなく、彼等の音楽を「ほほー、さすが〜」と認
めることができます。一歩間違って銅賞にでも滑り込めれば、ラッキー!と、
Vサインできます。
しかし一度上位入賞を果たしてしまえば、次の大会から上位入賞はある種義務
になります。つまり前年銅賞であれば、彼等の目標の最低ラインは銅賞となり、
最低でも銀賞をとらないと、回りは誉めてくれません。銅賞を続けるだけでも、
たいしたものなんですが、人間の欲には限りがありません。プレッシャーは年
々増加していきます。
「青少年の情操教育のため」などというウツクシイ大義名分はいつのまにか消
え、指導者はもちろん、生徒たちだって「音楽を楽しむ」なんてきれい事を言
っている場合じゃなくなります。「勝たなけりゃ意味ないじゃん(きっぱり」
となり、それまで「ほほー、さすが〜」と誉めたたえたライバルは、敵になり
ます。重箱の隅をつつくように相手のあら探しをはじめ、陰口、罵倒。金賞を
とらねば参加意義なんかない!いや、金賞をとっても、地区代表権を得なけれ
ば、百たたきの刑が待っています。彼等は密かにつぶやいているはずです。銅
賞で喜んでいたあの頃が懐かしい〜と。
音楽を楽しむ手段としてのコンクールは苦行。卒業後、音楽から離れていく若
者、特にコンクールで上位入賞を重ねた団体の生徒たちほど、その傾向が多い
と、ほうぼうで話を聞きます。
★練習するためコンクールに出る
勝つため、入賞するためにコンクールに参加する。一般的にはそれが常識でし
ょう。勝つために、練習方法を工夫し、トレーニングメニューを考え、適切な
指導者を選び(これが意外に難しい…)、そして選曲。古今東西の数ある作品
から選ぶわけですから、慎重になる以前に、何を選んで良いか皆目検討もつき
ません。指導者がベテランの場合はともかく、学生や駆け出しの指導者なら、
右往左往してしまうでしょう。選曲ひとつで、コンクールの行方は半分決まっ
てしまうんですから。
でも、この難問に悩む日々が、指導者や団体運営者、そして団員たちにとって、
意外に楽しいものなのです。候補をしぼり、皆で意見を出し合い、ケンケンゴ
ーゴーやる。新たに挑戦する作品なら何度か練習してみる。なにしろその後数
カ月の期間、つきあう作品なのですから、演奏者が気に入った、好きな作品で
なければうまくいくはずもありません。
それに、課題曲と自由曲のわずか二曲を、数カ月間、団体によっては自由曲な
どは半年以上もの間、練習し続けるなど、こんな経験は他には考えられなませ
ん。練習を通じて細かい表現法だけでなく、音楽の後ろに潜むニュアンス、背
景や作者の意図するもの、などさまざまなものを吸収していきます。指導者や
同志たちの考えを理解し、自分たちが訴えたいものを、どうやって表現するか
をとことん悩みながら励んでいきます。こうした時間の積み重ねは、いつしか、
友たちとの深い絆にもなっていきます。
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以前コンクールの件についてメールを頂いた際
「練習するためにコンクールに出ていたのかも…」
というフレーズがありました。素晴らしい言葉でとても感動しました。
そうです。入賞できなかった苦い思いなど、どーでもいいんです。仲間たちと
共に練習に励んだ時間、音楽と真剣に向き合えた一コマの方が遥かに大切なこ
とを、忘れてはいけない。汗にまみれ、のどが枯れるまで歌い続けたあの時、
夏の風は数十人の団員たちの心をひとつに包み、音楽となった。
勝った負けたではなく、コンクールで向き合った仲間たち、そして音楽につい
て、もう一度思い出してみたいものです。
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2.外国語は苦手、なかんずくフランス語は…
初めての合宿だ。北海道から東京へ出てきて初めての遠出。バスに揺られ着い
た土地は長野県の野尻湖湖畔の民宿だった。名称通り建物外に出ると、すぐ湖
で落ち着けるいい環境だ。
冷房も入らない食堂のテーブルといすを片づけ、午前3時間、午後4時間、そ
して夕食後の2時間を練習に費やす十日間。主目的はボイストレーニング、そ
してコンクール参加のための練習だった。コンクール用自由曲は既に指導者が
選んだ日本の合唱曲、それも全く一般には知られていない無伴奏作品だった。
音を表現するという現代曲特有のまか不思議な雰囲気とまではいかないが、メ
ロディも和音もとらえどころがなく、いくら日本語とはいっても感情移入が難
しい、いや出来ない合唱曲だった。東京の合唱団はこんな歌をコンクールで歌
うんだな、と妙に関心した、というより呆れぎみだった。
そして課題曲は二曲候補をあげ、二つとも練習を始めた。どちらかに決めてか
ら練習する方が効率的だと思ったが、それが合唱団の方針だった。
ひとつは「早春」(木下夕爾詩・長谷川良夫曲)という無伴奏曲。冒頭から全
パートユニゾンで「もっと高く大きく、飛べよ〜、み・そ・さ・ざ・い〜」と、
いう歌詞。みそさざいとは鳥の名だった。ハーモニーも、リズム展開もまさに
日本の「正しい」無伴奏合唱曲で、奇妙な自由曲に比べ歌いやすく、結構楽し
んで歌っていた。曲のクライマックスで再度「みそさーざいー」という歌詞で
ベースのメロディがどこかで聞いたのと同じだった。それがすぐにTVCMの
「サッポロ一番!ミソラーメン」の、ミソラーメンのメロディだとわかると、
一所懸命真面目に歌っているベースメンバーの顔を見るたび、笑うのをこらえ
るのが大変だった。この歌をぜひ課題曲に歌いたかったが、私の願望は叶えら
れなかった。
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もうひとつは、「Cantique de Jean Racine(ジャン・ラシーヌ頌)」(中山
知子訳詩・Gabriel Faure曲)というフランス語の歌だった。高校の合唱団で
は日本語以外で歌を歌ったことはなかったので、戸惑った。さすが大学の合唱
だ!と妙に感心した。幸い団の顧問先生がフランス語の教授なので練習は発音
練習で始まった。けれど、実際練習を始めるとフランス語は思った以上に難し
かった。
ヴェルヴェ ギャーロー トゥレオー
ノートゥリューニーケスペランセ
セではなくウとエの間のあいまいな母音。rはラテン語の巻き舌のアールでは
なく、喉の奥を震わせる感じ。とぎれとぎれにならないよう、流れるように、
と語学練習さながらのレッスンだった。メロディをつけ、歌として練習と並行
して毎日発音練習に励んだ。私は英語学科で英語の発音には少し自信があった
けれど、第二外国語は中国語(その大学は英語学科は第二外国語を中国語、中
国語学科は第二外国語を英語にしなければならない。東洋と西洋の文化両方を
知るために…というのがポリシーであった。現代の世界情勢から考えると、実
に理にかなった方針だったと思う。残念ながら私は外国語学部から文学部に転
部したため、中途半端な中国語習得で終わった。引き続き外国語学部で学んで
いたなら、今頃は世界の人々のために働いていたかもしれない…、とまたもや
脱線)。教育学部、文学部、政治学部、経済学部でフランス語を履修している
同僚たちが少しうらやましかった。
ベースパートが歌いはじめ、テノールが続く。男声二声の美しいハーモニー、
やがてアルトが続き、最後にソプラノが重なり、四声の和音が室内に響き渡っ
た。非情にシンプルな音楽で、感情移入する隙間もない美しさ。日本の歌とは
全く違うムードに、皆感動していた。控えめなピアノのアルペジオも素晴らし
く、いつの間にこの歌を課題曲として歌いたいという皆の意志は固まっていく。
数日後、指導者が合流した。指導者ももともとこの曲を第一候補に考えていた
ようで、力の入れ方がもう一曲とは全く違った。自らフランス語の発音の変な
ところを指摘し、すかさず顧問先生の意見を仰ぐなり、熱が入っている。暗黙
の了解で課題曲はこちらに決まった。
コンクールに参加する意義なんか我々一年生たちは全く実感していなかったが、
先輩達は「今年こそ上位入賞を!」と指導者と共に意気込んでいた。「H大の
連続優勝にストップをかけるんだ!」とすごい気合いだった。
それにしてもこの東洋日本の、山の中にある湖のほとりで、フランスの作曲家
が書いた歌を、フランス語の意味もろくに知らない若者五十人余りが躍起にな
り練習している。自分たちの歌としてものにするため、懸命に発音練習を繰り
返し、ハーモニーを追求しているのは、奇妙な光景かもしれない。でも、若者
たちは「何のために」など頭で考えることはせず、それこそ体で歌を歌い続け
た。
キーラー コンドュィータ ルーブリー ドゥ〜テ〜ロワー
キーラー コンドュィータ ルーブリー ドゥ〜テ〜ロワー
この歌で、唯一フォルテで歌っていい箇所を、皆心待ちにしていたな。あの頃
全国各地で同じ曲を練習した皆さんも、同じ箇所を歌いながら感動していたの
ではないだろうか。
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合宿が終わり東京に戻ってからは、指導者が東京で指導している一般団体(東
京のM合唱団、神奈川のS市民コール。当大学はD大で、この三団体を中心に
オーケストラと共演等合同演奏をする際には略称で「SMD合唱団」と少しア
ヤシイ名前で呼んでいた。数年後、団体は晋友会という名前になった)と合同
で何度か練習を重ねた。フランス人を呼び指導を受けるという念のいれようだ
った。先輩団体の演奏を聞く度、自分たちの演奏との差が明らかにわかり愕然
とし、自己嫌悪に陥ったものだ。それでも皆で懸命に練習を重ね本番に望んだ。
コンクールはライバル視していたH大が金賞、こちらは銀賞だった。もともと、
こちらが勝手にライバル視しているだけ、客観的にも比較対象にはならなかっ
た。指導者同士は裏で火花を散らしていたようだが…。それでも、過去最高が
銅賞だったので先輩たちは皆喜びはしゃいでいた。一年生の私たちもつられて
大騒ぎしたが、私自身は嬉しさ以上にステージ袖で聞こえたH大の歌の素晴ら
しさの方が印象に残っていた。「あれじゃかなわない」。でも、H大とは別の
個性的な演奏なら、できるんじゃないか?そう信じることにした。
あれから三十年。不思議なことだけれど、コンクールのことよりも、思い出す
のは夏の暑さ。湖畔で休憩時間にギター片手に皆で歌ったフォークソング。そ
して、フランス語の発音練習。あの課題曲の前奏。そして遠いあの日の友たち
の顔。勝った負けたは永遠に記録として残る。でもかすかに残った記憶だって
永遠に残る、人が生きている間はずっと。
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3.フォーレ ラシーヌ賛歌 作品11
Gabriel FAURE(1845-1924) Cantique de Jean Racine, Op.11
オルガンが控えめなアルペジオをはじめる印象的なオープニング。ソロなのに
伴奏である。歌のない伴奏とは奇妙な話だが、それが見事な演出となっている。
聞き手はおよそ一分弱の前奏を聞くうちに、フォーレの音楽の世界にまるで催
眠術をかけられたように引きこまれていく。
同じ夢遊病者はまずベースがシンプルなメロディを歌う。テノールも続き、ア
ルト、ソプラノ、それぞれが別のメロディなのだが、気が付けばたてわりのリ
ズムで美しいハーモニーになっている。
フランスの劇作家ジャン・ラシーヌ(1639−1699)が劇作をやめた晩年に書い
たCantiques spirituels(聖なる雅歌)をテキストに使っているこの歌だが、
題名が「ラシーヌ賛歌」となっているので、内容もラシーヌその人を讃美する
ものだと勘違いしてしまう。作者が自分を讃美するような詩を書くことなどめ
ったにないので(遠回しに自画自賛する輩も中にはいるが…)、題名は彼の詩
に曲をつけたフォーレ自身のラシーヌに対する敬意を表しているのだろう。
詩はシンプルだけれども、心をうつ内容で、キラリと光る言葉があふれている。
フランス語の意味も知らず歌ったことが悔やまれる(笑)。
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詳細はCD等の歌詞カードを参照していただくとして、英訳からアレンジした
口語の要約を記載すると、
神のお言葉は
私たちの唯一の望みと同じ
地上と天の永遠の日々
夜の静けさを破る私たちを
どうぞ見守ってください
あなたの慈悲の炎を
私たちに注いでください
すべての邪悪なものを
あなたの声で消してください
あなたの教えから外れ
彷徨い悩む魂の眠りを
取り払ってください
おお、キリストよ
あなたを讃えるためここに集う
忠実な人々に慈悲を
あなたの永遠の栄光に捧げる
この歌をお受け取りください
そうすれば…、
人の心は満たされることでしょう
↓ここに参照したフランス語原文と英訳があります。
http://www.rrcs.org.uk/MembersSite/CantiquedeJR.htm
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日本語にすると、しかも口語にすると、威厳もムードもあったもんじゃないが
意味がわからないより数百倍も歌が生きてくるのである。
第一部は先に述べた通りパートが重なっていき、感動的なハーモニーを形成す
るいわば序奏のようなもの。言葉も「夜の静けさを破る…」など、やや控えめ
な内容。それに合わせ音楽もごく静か。
そもそもこの歌は全体的に控えめで、起伏がなだらかな音楽だ。だから刺激を
好む人には不向きともいえる。でも、静かな中に、秘めた炎があるもので、そ
れは恋も同じでしょう?種火だって、あるきっかけにより、大きな炎になると、
誰も止められない恐ろしい大火になる。人の心も音楽も同じなのである。
一部と二部には間奏が入る。これは前奏とほぼ同じ。相変わらず淡々と続く。
次の大火の序奏として。
第二部がその大火だ。ここの箇所も相変わらずピアニシモで全パートは歌うが、
空恐ろしい激情がその後に炸裂する前のピアニシモだから実に怖いのである。
神に「あなたの慈悲の炎を我らに注いでください」というのだから、覚悟なの
である。炎をかぶるのは人間も同じなのだから、熱くてたまらないんだ。だけ
ど、この世の悪を消し去るため「仕方なく」炎を共に受けようと決心する。神
の声に悪は滅びるけれど、人間は神の声により生かされるのだから。その熱い
(こっちはアッチッチーではなく、強い情熱の方ね)思いが、この音楽にも炎
を放つようだ。意味を知らぬ我々も不思議とこの部分は激唱(こんな言葉ない
かも)した。あからさまな激情と秘めた激情のコントラストが、詩だけでなく
メロディと一体となっている。全パートがそれぞれ主役であり、主役は融合し
て感動的なコーラスになっている。
第三部は、ふたたび穏やかな雰囲気にたちもどる。第一部冒頭とほぼ同じメロ
ディ構成。永遠の栄光に捧げる讃歌の部分で、歌は最後のクライマックスを迎
える。でもここは既に決意を固めた人間の声なので、堂々と誇らしげな音楽に
なる。
再び歌はピアニシモ、スローなテンポとなり、合唱とオルガンは静かに音楽を
終える。ミサ曲ならば、「アーメン」のようなものかもしれない。
なんともいえない深い余韻が残るこの歌。元々はハーモニウムと弦楽四重奏の
ために作られたという。米国のyahooで検索するとその編成による楽譜も見つ
かる。弦楽器だけでも充分この音楽を堪能できるだろう。しかし、ぜひ合唱と
オルガンで聞いて頂きたい。
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★↓ここに英文歌詞ですが、pdf版の楽譜がありました。
http://home.earthlink.net/~gnawme/_folio/Cantique.pdf
★私の聞いたレコード
GT9293 キングレコード
フォーレ
レクイエム Op.48
ラシーヌ賛歌 Op.11
ベンジャミン・ラクソン(バリトン)
ジョナサン・ボンド(トレブル)
ケンブリッジ・セント・ジョーンズ・カレッジ合唱団
アカデミー室内管弦楽団
指揮:ジョージ・ゲスト
オルガン:スティーブン・クレオバリー
★上のレコードとは別ですが、試聴可能な米アマゾンのURL
※第一部歌が始まったあたりから第一部第二部間の間奏までの1分
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B0000067UF/qid=1088923219/sr=1-12/ref=sr_1_12/103-8118029-6948606?v=glance&s=classical
★前奏冒頭から歌はテノールとの二重唱まで。雰囲気はわかっていただけるかも
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000005GRV/qid=1088923219/sr=1-15/ref=sr_1_15/103-8118029-6948606?v=glance&s=classical
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【あとがき】
二週間のご無沙汰、Libera Me(われを許し給え)という気持です。
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たかがコンクール、されどコンクール。勝敗を意識するなというのは、外野の
戯言。当事者たちは必死なんですからめったな発言は禁物。でも、ちょっとだ
け肩の力を抜いてみるのもいいのでは?というオジサンのメッセージでした。
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今日は、思い出話にたった一人で花が咲いてしまいました(笑)。
でも、たまにこういう小曲もいいでしょう?たぶん昔歌ったことがある読者の
皆さんも結構おられるのではないでしょうか。懐かしいですね。
この歌、フランスでは結婚式によく歌われるようです。レコードの解説文で三
浦敦史氏が書いておられます。いいですね、こういうしみじみとした歌を、若
きカップル、いや若くなくてもいんですが、新しい道を共に歩こうとする二人
に捧げるのは、なんだかいいな。素晴らしい。
それにしても、本来なら「レクイエム」目当てでこのレコードを買うのが普通
なのでしょうが、私は迷わず「ラシーヌ賛歌」お目当てで買いました。コンク
ールではピアノだったので、オルガンで聞くこの歌はなお一層魅力的でした。
「レクイエム」も素晴らしい演奏でした。特にバリトンのソロと波のような弦
楽器との共演、そしてテノールと、ボーソプラノ。そう遠くないうちにこの曲
も取りあげますのでお楽しみに。
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「なかんずく」などという言葉を突然使ってみたのは、最近読んでいる翻訳物
でよく出てくるからです。すごい違和感でしょ。そもそも、意味知っています?
私は知らなくて、本を読んでいて辞書を引きました。漢字にすると「就中」。
ATOKでも「なかんずく」と打つとちゃんと出てきます。今は使われません
よね。と思ってyahooで検索すると、結構出てくるのに驚きました。主に法律
関係の文書や判決文なのですが、個人HPでもありました。「特に、とりわけ」
という意味だそうです。
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次号は、久々にモーツァルト、彼の清々しいホルン協奏曲を取りあげます。
では、Op.131までお元気で。